秩父鉄道

 秩父鉄道は、東武鉄道伊勢崎線羽生駅から熊谷、寄居、秩父と経由し、三峰口に至る秩父本線と、熊谷貨物ターミナル・武川間を結ぶ貨物専業の三ヶ尻線から構成されています。東武伊勢崎線、JR高崎線、そして池袋から延びてきた東武東上線、西武鉄道の駅をつなぐように延びており、また、沿線には長瀞や三峰といった観光スポットもあることから、旅客需要も多くなっています。また、西武鉄道は池袋から御花畑の連絡線を介して長瀞、三峰口まで直通列車を走らせており、首都圏から近い気軽な観光地へのアクセスを容易にしています。かつては東武鉄道東上本線からの直通列車も走っていました。
 また、この鉄道の設立目的は、貨物輸送にもありました。武甲山から産出される石灰石の輸送も担っており、今では珍しくなった貨物列車が行く来するのも、この鉄道の特徴であります。
 昭和63年からは土・休日を中心にSL列車も走り、こちらも今や秩父観光の目玉となった感があります。
※このデータはH26.4.5現在
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デキ102+ヲキ100、ヲキフ100の貨物列車。
デキ102は昭和29年に登場した電気機関車。国鉄EF15を小さくしたような、デッキつきの機関車で、軸配置はB-Bとなっている。それまでの機関車より主電動機出力を上げて1,000t列車の牽引が可能になり、輸送力向上に貢献している。登場当初は茶色であったが、後年になって青をベースとした現在の装いになっている。デキ103,104,105も同一形態である。
ヲキ100形は石灰石運搬用の貨車で、車体は短いが、ボギー式である。ヲキフ100形は車掌室付きの車であるが、もう30年ほど前から車掌乗務はなくなっており、両形式はほぼ混用されている。三ヶ尻・武州原谷・影森間のみの運用で、秩鉄線外に出ることもない。なお、所有は荷主である太平洋セメントである。

写真:武州原谷行きは返却回送のため空荷 波久礼・樋口間 2012.11.4


1000系。元は国鉄新性能通勤型電車のパイオニアである101系である。昭和32年に登場した101系は国鉄では初めてカルダン駆動方式を採用し、ユニット電動車方式、全金属製の車体などは、その後の国鉄の多ジャンルの車両に大きな影響を与えた車両である。国鉄からJRに移行しても活躍を続ける車両もあったものの、昭和50年代後半に入ると廃車が進んだ。しかし、昭和61年から3年間にかけて3両編成12本が秩父鉄道に譲渡された。
改造内容は外板塗装の変更や運転台の改造ぐらいで、原型をよくとどめているが、平成6年から先頭車には冷房装置が搭載され、三峰口方の先頭車であるデハ1000(元クモハ100)は運転台側にもパンタグラフが搭載されるようになった。塗装も、白を基調としたものに変更されている。
平成19年からはかつての国鉄時代の姿をイメージした単色塗装への塗り替えが開始され、オレンジ(中央快速)、カナリア(総武・中央緩行)、スカイブルー(京浜東北)、ウグイス(警戒帯付き関西線)の4色が揃った後は、かつての秩鉄標準色や、1000系入線時の塗装が再現された編成も登場しており、見た目のヴァリエーションが豊富になって訪れるファンを楽しませてくれるようになった。
そんな1000系も東急からの譲渡車両の入線で廃車が進み、平成26年3月を以って全廃された。
写真上:2011年の廃車まで標準塗装をまとっていた1005F。
写真下:入線時の塗装に復刻された1007F。総武線のカナリアよりは少し濃い感じ。
両写真とも 武州荒木・新郷間 2010.6.6
6000系。元は西武鉄道101系である。急行「秩父路」号用の車両として、平成17年に登場した。同列車には、元国鉄165系である3000系が充当されていたが、老朽化のため、西武から車両を購入、改造して置き換えられた。
改造点は両数の変更(4→3、羽生側先頭車は中間車を先頭車化改造)、車内の設備をロングシートからクロスシートへの変更、ドア数減(3→2)が主なものである。ほかに、外板塗色は3000系と同様に白地に窓回りを青くされたほか、前面にはLED式の愛称表示器が設置された。
写真: 武州荒木・新郷間 2010.6.6
5000系。元は東京都交通局6000形である。昭和43年にデビューし、秩父鉄道には平成11年に譲渡された。ステンレス製車体の4ドア車体で、窓の形が全般的に角ばっているのが印象的である。前面は行先方向幕の部分が突き出ているが、そこから後部にモニターとしてつながっているのは個性的な設計。
秩父鉄道入線時には6両編成から3両編成に短縮されたほか、中間車にパンタグラフが新設されたものの、外観にはほとんど手がつけられず、三田線時代の姿をよくとどめている。
写真: 武州荒木・新郷間 2010.6.6
7000系。元は東急電鉄8500系である。秩父鉄道には平成21年に譲渡された。電動車が付随車を挟む3両編成となっているが、写真の第2編成は中間車から改造された車両で、オリジナルの姿とは異なる(運行番号表示器の撤去、非貫通化)。第1編成も窓回りが少し黒く縁どられて、前面の帯のパターンが変わったこともあり、東急時代のイメージとは異なった姿となっている。ただ、サイドから見ると東急時代の面影を強く残す。
同社の通勤型車両としては初めて客用ドアに開閉スイッチが備わった。
写真: 武州荒木・新郷間 2010.6.6
7500系。元は東急電鉄8090系である。昭和55年にデビューし、秩父鉄道には平成22年に譲渡された。ステンレス製車体の4ドア車体である。それまでの東急のステンレス車は直線的な車体であったが、当形式は卵型断面で裾絞りがついた柔らかなイメージを持ったような車体となった。結果、車体の軽量化が実現している。制御方式は8500系(秩父鉄道7000系)と同様にチョッパ制御方式であるが、改良が加えられた。
秩父鉄道入線時には帯色が7000系と同様のタイプに変えられたものの、外観上の改造点は軽微なものにとどまっている。
写真: 武州荒木・新郷間 2010.6.6


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