東武鉄道

 東武鉄道は、東京を起点に、埼玉、千葉、栃木、群馬と北関東一円に463.3kmの路線網を展開し、私鉄では近鉄に次ぐ路線長を誇ります。浅草から群馬県は伊勢崎までを結ぶ伊勢崎線、途中の東武動物公園駅から日光まで延びる日光線を幹とし、鬼怒川、宇都宮方面などに支線が延びています。また、独立した形で、池袋・寄居間の東上本線もあります。
 かつては国際観光都市日光、鬼怒川方面への観光輸送を主とし、国鉄〜JRを圧倒してきましたが、近年は通勤輸送に占める割合が多くなっています。早くから伊勢崎線では営団(現在の東京メトロ)日比谷線との相互直通運転を行っていましたが、都心部へのアクセス充実を図るべく、平成15年からは営団半蔵門線への直通運転も開始しました。東上線側も、昭和62年からは和光市駅から営団有楽町線との相直乗入を行っています。
 近年需要が低迷していた日光、鬼怒川方面へは、平成18年から長年のライヴァルであったJRと手を組み、新宿・日光/鬼怒川温泉間の特急列車を相互で走らせるようになりました。
 東京口は10連の急行列車が複々線を疾駆する一方で、群馬県内では単線区間を2両のワンマン電車が行き来するなど、路線網の膨大さから、さまざまな沿線風景が見られます。じっくりと乗り潰しを味わってみても面白いと思います。

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100系。平成2年に登場した特急型電車。”SPACIA”の愛称がつく。6両編成から構成されており、1号車から5号車までは1.1m間隔でフットレストが備わったリクライニングシートが並ぶ普通車となっていて、日光、鬼怒川温泉寄り先頭車の6号車は4人用個室が6室備わっている。3号車にはビュッフエがある。
先代の1700系、1720系”DRC”は国鉄との日光輸送の争いに引導を渡したとも言われる存在で、鉄道史上稀にみる名車との誉れ高いが、この”SPACIA”もJRのグリーン車並みの座席が並ぶなど、アコモデーションは我が国で最も優れた車両の一つと言える。
制御方式はVVVFインバータ方式であるが、当時、発進停止の少ない特急型車両に採用された例は、極めて少なかった。日光・鬼怒川線内の急勾配に備えて全電動車となっている。
現在はJR線内へも乗り入れるようになり、9本中3本が対応の工事を施された。
写真:伊勢崎線 大袋・北越谷間 2009.12.31
200系。平成3年に登場した特急型電車。伊勢崎線急行「りょうもう」号に使用されていた1800系を置き換えるべく製造された。車体は前年に登場した”SPACIA”に範を取りながらも、直線状にまとめられたデザインとなった。塗装には先代の1800系が赤色だったことから、帯に赤を配して伊勢崎線急行のイメージを継承している。ただし、足回りはその”SPACIA”の先代である”DRC”の主要機器を流用した。
「りょうもう」号は平成11年で特急格上げとなった。しかし、200系の座席はフットレストつきのリクライニングシートではあるものの、間隔や座り心地などは100系よりも明らかにランクが落ちる。そのため、特急料金は”SPACIA”使用の日光線特急よりも幾分安めに設定されている。
写真:
伊勢崎線 大袋・北越谷間 2010.1.24
350系。平成3年に登場した特急型電車。かつて「りょうもう」号に使用されていた1800系が200系の投入で余剰となり、日光線の快速急行(当時・・・有料)用の車両として改造された。1800系は昭和44年に登場し、それまで5700系などで運転されていた群馬方面への急行列車の近代化に大きく向上した電車であった。
日光線用には6両編成4本が改造され、6両編成のままで残った編成が300系、4両となった編成が350系と区分される。急勾配対応のために抑速ブレーキを装備し、塗装を”SPACIA”に準じたものに変更された。ただし、外形面での大きな改造はなく、内装も転換クロスシートのままとなっている。
現在は宇都宮発着の「しもつけ」や日光発着の「きりふり」で僅かに使用されるのみとなっている。
写真:伊勢崎線 大袋・北越谷間 2009.12.29
6050系。日光線(区間)快速用車両として、6000系の足回りを流用して製造された。昭和60年に登場し、翌年に車体更新を完了している。その後に輸送需要が増大し、7本は完全新製されたが、性能面での変更はない。
先頭車のみの2連からなり、1M1Tの構成である。抵抗制御方式は現在も変更されておらず、日光線での運用が前提であるため、抑速ブレーキを備えている。車内は長距離での運用がメインとなるため、ボックスシートが並び、クハにはWCも設置されている。
現在は浅草・日光/会津田島間の(区間)快速に使用されている。新藤原以北の野岩鉄道、会津鉄道線にも乗り入れる。3本つなげて6連での運転が多くなっているが、浅草から来た列車は下今市で日光方面と田島方面に分割され、野岩鉄道線に入るまでに2両が落とされる。輸送量に応じた増解結がさかんに行われている。
写真:日光線 新古河・栗橋間 2008.12.21
50000系。平成17年から運転を開始した通勤型電車。新世代の通勤型電車として設計されたが、東武の通勤型電車としては初めてのアルミ車となって軽量化が図られ、車両床面を低くしてバリアフリー化を実現している。側面窓はピラーなしの固定窓となり、天地寸法が拡大されて明るさを確保している。
装いは基本的に無塗装であるが、運転室窓の下部と戸袋部はオレンジ色になっている。通勤型電車では初めて取り入れられたカラーで、イメージが一新した。
当系列は10連固定編成で、東上線用で2本が製造された。写真の50001Fは非貫通型前面であるのに対し、50002Fにはプラグ式の貫通路(非常用)が設けられ、ライトの位置も少し異なる。
写真:東上線 柳瀬川・志木間 2010.2.6
50050系。平成18年から運転を開始した通勤型電車。先述の50000系第2編成をベースにした車両で、基本的な仕様についての変更はないが、51061F以降の編成は、側窓が2分割され、開閉式となった。
50000系は東上線用として登場したが、本系列は伊勢崎、日光線系統へ投入された。3年前から始まった東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線との相直用車両に充てられた。現在は18本が配置されている。10両固定であることから、東武線内での入線範囲は限られるものの、半蔵門線をくぐりぬけて、神奈川県は中央林間駅まで乗り入れ、関東地方を縦断する活躍を見せている。
写真:伊勢崎線 大袋・北越谷間 2009.12.27
50090系。平成20年に運転を開始した通勤型電車。この年の6月から、東上線では座席定員制の「TJライナー」を運転することになり、当列車用に50090系が製造された。座席料金を徴収する列車に充当する一方で、他の時間帯は通勤輸送に従事するということで、クロスシートとロングシートを変更できる構造となった。関西では近鉄で実績があるが、関東では当系列が唯一無二の存在である。ただし、近鉄と異なり、昼間のすいている時間でも、ロングシートになっていて、クロスシートに変えてくれるのは「TJライナー」及び送り込みの快速急行充当時のみである。
車体は50050系の51061F以降と同様の構造になったが、車体には細いながらも青帯が加えられ、少し差別化をしている。
写真:東上線 柳瀬川・志木間 2010.2.6
30000系。平成8年に登場した通勤型電車である。具体的に計画が進展していった(営団・・・当時)半蔵門線への乗入を想定して製造された。このため、半蔵門線や東急の車両と共通化が図られて、東武では初めてワンハンドルマスコンが採用されたのが特筆される。車体は従来のステンレス車同様にロイヤルマルーンの帯を巻くものになっているが、前面窓のフチはより丸みを帯びたものになり、幾分柔らかい印象を受ける。
車内は白地の化粧板が張られ、座席の布地も青ベースとなり、従来の通勤型電車のイメージを一新した。
6連編成と4連編成があり、それぞれ別個に使用されてきたが、平成15年にいよいよ半蔵門線、東急線との相直運転が開始され、「本領」を発揮した。しかしながら、編成中にデッドスペース(使用されない運転室)があって収容客数が少ないという短所があり、半蔵門線への乗り入れは10両固定の50050系を新造して充てることになった。地下鉄乗入対応の機器を供出して、多数の編成は再び地上線運用に専念することになる。

写真:急行運用を持っていた頃の31610F 西新井・梅島間 2008.3.29


20000系。昭和63年に登場した通勤型電車。日比谷線直通の普通に使用していた2000系を置き換える目的で登場した。2000系は鋼製車体であったが、当系列はステンレス製車体となり、前面の貫通扉が助士席側に寄って前面窓が大きく取られるなど、イメージが一新している。2000系は車体構造上冷房化が不可能であったが、20000系は当初から冷房装置付きである。
余談ながら、日比谷線の車両は、この20000系が登場すると間もなく、営団(当時)、東急所有の車両も新系列車に置換えが開始され、一気に時代が進んだように感じたものであった。
平成4年から製造された8本は、8両のうち前後それぞれ2両を5扉とされ、制御方式をチョッパ方式からVVVFインバータ方式に変更されており、20050系と区別されている。平成7年から製造された3本は扉数を全車3扉に戻されているが、制御方式はVVVFインバータ制御であり、20070系となっている。
写真上:20000系列はすべて車体長が18mで、8両編成だと一般車約7両分。20050系。 伊勢崎線 大袋・北越谷間 2009.12.31
写真下:20070系。同じく3ドアの20000系は前面の行先表示が幕式である。伊勢崎線 大袋・北越谷間 2009.12.29

10000系。昭和58年に登場した通勤型電車。当時の東武には戦後間もない時期に国鉄から譲渡された63系を更新した7300系電車が活躍し続けていたが、これを置き換えるべく製造された。ベースは9000系で、ステンレス製となったが、貫通扉は中央に配置され、額縁も薄くなった。
当初は東上線で使用されたが、間もなく伊勢崎、日光線にも配備された。編成も2,4,6,8,10両編成それぞれが用意され、線区の需要に合わせて使用されている。
平成19年より一部の車両はリニューアル工事を施され、前面の種別、行先表示のLED化、ヘッドライトのHID化といった工事が施されたほか、外板の磨き出しもなされた。車内も化粧板が白地のものに張り替えられ、座席も50000系列と同様のものに変更された。リニューアル工事が済んだ編成は、登場してからすでに20年以上が経過するものの、新しく生まれ変わったかのように感じる。
写真:伊勢崎線 大袋・北越谷間 2009.12.29
10030系。昭和63年に登場した通勤型電車。10000系のマイナーチェンジ版である。ステンレス製車体であるのは同じだが、下地処理に違いがみられる。台車やコンプレッサーも変更されているが、大きな差異は前面で、8000系の更新車のように、前面窓の天地寸法が広がるようになった。
その後、平成4年以降に増備された編成は、冷房装置のカバーが変更されるなど、僅かながら、差異がみられる。
2,4,6,10両編成が存在し、単独で、あるいは、10000系や30000系と手を組んで運行されている。10000系ともども伊勢崎、日光、東上線の主力通勤型車両となっている。
写真:東上線 柳瀬川・志木間 2010.2.6
9000系。昭和57年に登場した通勤型電車。営団(当時)有楽町線乗入用として製造されたが、18年ぶりの新系列車であった。そのためか、東武では初めてとなる試みが随所でなされた。まず車体がステンレス製となり、巻かれた帯もロイヤルマルーンと従来の電車には使われていなかった色が採用された。制御方式はチョッパ方式となった。編成は10両固定と東上線以外での使用を考慮しないものとなったが、そのため、前面貫通扉は非常用の出入口に特化することが出来、助士席側にオフセットされた。
昭和57年に登場したのは一本のみで、暫く希少な存在であったが、昭和62年に有楽町線との相直運転が開始される直前にはマイナーチェンジされた6本が増備された。その後、平成6年の有楽町新線開業に伴って2本が増備されたが、この編成は制御方式がVVVFインバータ方式になり、9050系と区分される。
平成20年に東京メトロ副都心線が開業すると同線にも乗入を開始したが、その際に、ワンマン運転用の機器を搭載したり、ワンハンドル化改造が行われ、併せて車内のリニューアル工事も実施されている。
写真:9050系 東上線 柳瀬川・志木間 2010.2.6



8000系。昭和38年に登場した通勤型電車である。高度経済成長期の只中にあった当時、東武沿線の開発は急ピッチで進み、利用客も急増していったが、これにあわせるように増備を重ね、石油ショックを過ぎて安定成長期に入っても増備がなされ、最終的に昭和58年まで製造され続けた両数は712両にもなった。
20m級鋼製車体4ドア両開きの汎用車両である。2,4,6,8両編成が存在するが、いずれもMT比が1:1になるように組まれており、その電動車に搭載されるモーターの出力は130kWと強力なものになっている。台車は通勤型電車としては破格の空気ばね台車が奢られ、乗り心地の向上も図られた。その一方で、発電ブレーキ省略や制御装置の一部簡略化など、経済性も考慮されている。
性能の高さや機動性の良さから、長年に渡って使用され続けてきたが、昭和61年以降は外板の塗装変更も含めた大がかりな更新工事が開始された。昭和62年以降に工事がなされた編成は、天地寸法が低い窓が3つ並んだ前面が6050系のようなブラックフェイスに変更され、大幅にイメチェンした。更新工事の内容は年次によって差異があるため、系列内でのヴァリエーションがさらに豊富になった。
誕生から40年以上経っても廃車は出なかったことが、この系列がいかに使い勝手のよい形式であるかを物語っている。さすがに2008年になると廃車となる編成が生じてきたものの、それでも600両を少し割り込んだ程度。民鉄界でもいまだに最多両数を誇っている形式である。
写真上:
前面も更新された8142Fを先頭にした急行池袋行き。東上線では10連を組んで優等列車にも充当されている。 東上線 柳瀬川・志木間 2010.2.6
写真下:昭和61年に施行された初期更新車8130F。初期更新車の前面はオリジナルの形態を維持している。この編成は廃車され、オリジナル前面を維持するのは東上線で活躍する6両編成2本のみとなってしまった。 伊勢崎線 茂林寺前・川俣間 2008.12.21




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