小田急電鉄

 小田急電鉄は、新宿を起点とし、世田谷区を南西方向に横切り、町田から小田原、及び江ノ島方面へと湘南地方の都市あるいはリゾート地に路線を延ばています。箱根、丹沢地域の観光開発事業にも力を入れており、箱根方面への特急は早くから豪勢な車両を投入され、小田急のシンボル的な存在となっています。
 江ノ島方面への輸送も担ってきましたが、近年では新宿乗入を開始したJRとの競争が激しくなっており、小田急も江ノ島線直通列車を充実させて対応を図っています。1975年には多摩線が開業しましたが、当時は独立した支線扱いだった同線も、今は東京メトロ千代田線からの直通急行や特急も走るなど、存在意義が大きくなってきています。
 新宿口の混雑は首都圏随一で、ラッシュを緩和すべく、代々木上原・東北沢間、梅ヶ丘・和泉多摩川間についての複々線化は完成、代々木上原・梅ヶ丘間も工事が進められています。工事が完了したあかつきには、輸送力増強やスピードアップが図られる予定で、よりパワーアップした小田急が見られるのでしょう。
---------------------------------------------------------------------------------------------

特急型 通勤型
60000形。通称MSE。2007年に登場したこの車両は、東京メトロ線への乗り入れ用として設計、製造された。すべて20mボギー式の6両編成と4両編成から成るが、6両編成の小田原方、4両編成の新宿方の先頭車は、非常用の貫通扉を配しながらも、従来の”ロマンスカー”のイメージを踏襲する流線型の前面で、客室からの展望も確保している。
2009年2月時点で、平日は東京メトロ千代田線に乗り入れる通退勤特急としての運用しかないが、土・休日は北千住・箱根湯本間の「メトロはこね」号の運用に就き、下町界隈から箱根への観光需要に応えている。
2012年3月からは、JR御殿場線乗り入れの「あさぎり」の運用も受け持つことになっている。
写真:小田原線 栢山・富水間 2008.11.30
4000形。東京メトロ千代田線乗入用の通勤型電車で、2007年に登場した。JR東日本のE233系をベースにした車両で、電気機器や保安設備などを二重として有事に備えていることが特筆される。それまでの最新型である3000形とはまたイメージが異なる車両であり、小田急通勤型電車における新たな系譜を作ったと言える。なお、この青は従来車のロイヤルブルーに比べると少し明るめになっている。
10両固定編成7本が配備されており、千代田線の綾瀬と多摩線の唐木田との間を結ぶ多摩急行をメインに活躍している。
写真:地下鉄に入らない線内完結の急行にも使用される。小田原線 栢山・富水間 2008.11.30
50000形。通称VSE。2004年に登場したこの車両は、かつての”ロマンスカー”の原点に立ち返り、観光輸送に特化した車両として設計、製造された。10000形以来の前面展望席+2階運転室の構造を復活させ、乗り心地をよくするために、連接車体とされた。天井がドーム型となり、で広い車内空間を実現、座席間隔が広がり、暖色系でまとめられた室内は、全国の特急型電車の中でも最高級のアコモを誇っているといえる。
外装はパールホワイトを纏い、高級感をかもし出している。2編成が配備され、新宿・箱根湯本間の「(スーパー)はこね」の運用に就いている。
写真:先輩”ロマンスカー”に次いで、この車両もブルーリボン賞を受賞した。一時期、前面には記念のロゴがあった。小田原線 喜多見 2007.12.24
3000形。2006年に登場した通勤型電車である。ステンレス製の車体であるが、裾絞り構造をやめて車体幅を狭くし、従来車に比べるとかなりの軽量化を実現している。地下鉄には入らないと割り切られて、小田急の通勤型電車では久方ぶりに非貫通前面となった。製造が5年間に渡り、年次によって差異があるが、1次車のみ、側窓とドア幅が大きく異なっている。
ブレーキの読替装置があるため、他形式との併結は可能で、同じステンレスの1000形や鋼製車と手を組む姿が日常的に見られる。8連と6連の組み合わせだったが、運行形態の変化で、6連編成の一部は増備車を組み込まれて10連化が開始されている。小田急の最大勢力である。
写真:小田原線 喜多見 2007.12.24
30000形。通称EXE。これまでの特急車はJR直通の「あさぎり」に使用される20000形を除いて連接車体で、11両とはいいつつも、20m級車体に直すと7両編成程度の収容力しかなかったが、この車両は通勤車と同様に20m級ボギー車として製造された。帰宅時間帯の多大な需要に応えるようにされたわけだが、6+4で分割できるようになってきめ細かな運用にも対応できるようにもなっている(写真の反対側は貫通型で、通しのときは内臓の幌が出て通り抜けが出来るような構造になっている)。 
車体はゴールド基調となり、少し冷たい感じも受けるが、従来の”ロマンスカー”のイメージを一新した。
写真:小田原線 喜多見 2009.1.25
2000形。1995年に登場した通勤型電車。小田急では乗降時間を短縮するために、1000形の一部をワイドドア仕様で製造したが、座席数減少の問題を抱えるようになった。これを解決すべく、本形式では、ドア幅が1000系の2.0mから1.6mまで狭まり(標準は1.3m)、ドア間の座席数も7が確保されるようになった。
主要機器類は1000形をベースにしながらも、小田急では初めて電気指令式ブレーキが採用されたこと、各種機器へのモニタリング機能が充実したことが特筆される。なお、ブレーキ方式が異なることで、他形式との連結運転は不能であるが、本形式は8連で、そもそも併結運用がなく、問題はない。
現在は新宿口の普通、区間準急に使用されている。
写真:小田原線 相武台前・座間間 2010.4.29
20000形。通称RSE。「あさぎり」に使用されていた3000形SE車の置換用として1991年から運転を開始した。従来は小田急車のみで運転されていた「あさぎり」も、同年3月改正の沼津延長に伴い、JR車の運用も加わることになり、基本的な車体構造は共通化されることになった。従い、連接車構造、2階建運転室といった”ロマンスカー”独自のセールスポイントは採用されなかった。しかし、車体構造はハイデッカータイプとなり、シートピッチも広がって快適性は増した。3号車と4号車はダブルデッカーとなり、2階部分はJRで言うグリーン車である。
およそ20年間活躍してきたが、バリアフリーに対応していないことから、2012年3月で引退する予定。
写真:「はこね」29号で走る20000形。小田原線 栢山・富水間 2008.11.29
1000形。1988年に登場した通勤型電車。小田急では初めてのステンレス車体となったほか、VVVFインバータ制御が本格的に採用された。4両、6両、8両、10両編成と存在する。4連、6連編成は他系列と手を組んで、あるいは単独で線内完結の運用に従事している。10連口は単独で線内の優等列車運用に就くが、2010年までは営団→東京メトロ千代田線への直通運用に従事していた。8連は3000形、2000形と共通で、新宿口の普通列車と区間準急の運用に就くが、一本しかない。
6連編成には、混雑時の円滑な乗降を図るために、ドア幅が荷物電車並みに拡大された編成が6本あるが、現在は引き残しが出るように改造され、狭幅ドア車と同じ程度にしか開かなくなっている。
写真:小田原線 栢山・富水間 2009.1.12
10000形。通称HiSE。1987年に運転を開始した4代目の”ロマンスカー”である。先代のLSEに比べ、傾斜角を少し急にし、直線的な前面として、シャープなイメージを持たせた。車内は展望室部分を除いてハイデッカー構造となったのが特徴であるが、なぜか当形式のみ、リクライニング機能がない。
外装は従来の”ロナンス・カー”とは一線を画して白地にワインレッドの組み合わせとなり、愛称表示器は展望室の側面に移された。4本が製造されたが、バリアフリーへの対応が出来ていないことから、3本は廃車され、そのうち8両が長野電鉄に譲渡されたものの、2012年3月で残る1本も廃車される予定。
写真:小田原線 栢山・富水間 2009.1.12
8000形。1982年に登場した通勤型電車。それまでの小幅通勤型電車である2200形〜2400形を置き換えるべく、4連、6連それぞれ16本が製造された。前面は小田急では初めてブラックフェイスとなったが、貫通扉の継ぎ目が目立たなくされており、一枚窓が大きく配されているかのように思える。
平成14年からはリニューアル工事が施行され、集電器がシングルアーム式に改められたほかは、施行年度によって工事内容に差異が生じ、少しではあるが、ヴァラエティに富む形式になった感がある。2003年度以降に改造された編成は、制御方式がVVVFインバータ制御に改められた。
写真:小田原線 栢山・富水間 2008.11.30
7000形。通称LSE。初代3000形、3100形(NSE)に次ぐ3代目”ロマンスカー”として1980年に登場した。NSE車で初採用となった前面ギリギリまで展望室を設置し、運転台を2階に上げた構造を踏襲したが、前面の流線形状は少し平たくなり、愛称板や灯火類は車体に埋め込まれてスッキリとしたものになった。出入口と客室内は同一平面の平床構造であるが、”ロマンスカー”としては意外にも初採用。
当初は灰色とオレンジを組み合わせた塗装であったが、1995年より、HiSEに倣った白とワインレッドを基調としたものに変わっている。この際、座席モケットの変更や車椅子対応座席の設置など、リニューアル工事も合わせて行われている。ただ、2007年に7004Fは旧塗装に復元された。7003Fも戻された。
”ロマンスカー”としては古株となったが、現在は2本が在籍している。
写真:懐かしのカラーとなった10000形風塗装。
小田原線 栢山・富水間 2008.11.30


5000形。1969年に登場した通勤型電車である。それまでの2600形、(初代)4000形で確立された4ドア、裾絞りのある広幅車体がこの電車にも採用されたが、3次車以降は、小田急の通勤車では始めて、製造当初から冷房装置が搭載された。その後8000形まで纏い続ける、アイボリー地にロイヤルブルーの帯が入るというカラーリングスタイルは、実はこの5000形が最初。
優等列車の編成増強を目的として4両編成から製造されたが、昭和52年からは6両編成として増備がなされるようになった。このグループは、昭和47年からこの年まで製造され続けていた9000形の流れを汲んでおり、側面が2段窓から一段下降窓に変更されたことが特筆される。前面や、走行機器にそれほどの差はないものの、6連口は5200形と通称されるケースも多い。
平成になってからほどなく、全車に対して車体更新工事が施されるようになり、集電器のシングルアーム化、座席のバケット化が主な内容として挙げられる。室内は新型電車と比べても遜色のないグレードとなった。
3000形や4000形の増備が進んだことにより、平成24年3月に全廃された。
広いおでこに電球2ケをセットしたライトケース、助士席上方の種別幕、3枚低めに並んだ前面窓、貫通扉に垂直に収まった方向幕。特にファンの間で親しまれている「小田急顔」のことであるが、5000形は、最後の生き残りであった。
写真上:
製造当初は非冷房であった”アラフォー”の5054F。 
小田原線 栢山・富水間 2008.11.30

写真下:現在はなくなった新宿発箱根湯本行き急行の運用に就く5256F。
小田原線 喜多見 2007.12.24


inserted by FC2 system