京成電鉄

 京成電鉄は、社名の通り、東京から千葉県成田山への参拝輸送を担うべく開業した鉄道でしたが、昭和53年の新東京国際空港開業とともに空港アクセス鉄道の役目も担うようになりました。それがゆえに、上野・成田空港が事実上のメインルートとなっていますが、青砥からの押上線を通して都営浅草線、さらには京浜急行線と相互直通運転を行っており、羽田空港へのアクセスにも力を入れつつあります。
 同時に、千葉県北総地域、成田、佐倉、臼井、船橋、市川方面から首都圏方面への通勤輸送も大きな役割となっています。
 成田空港へのアクセス・ルートとしては、長年船橋経由の本線を通して行われてきましたが、平成22年7月に北総線印旛日本医大・成田空港第2ビル間の新線が開業したことで、既設の北総鉄道線を含めた、新鎌ケ谷経由の経由の新たなルート(通称:成田スカイアクセス)が完成。空港アクセスの有料列車「スカイライナー」や一部の特急は、このルートを通って運転されることになりました。
 その他、津田沼から千葉、市原市の千原台へ向かう千葉線、千原線がありますが、この両線は新京成電鉄からの乗り入れがあるデータイムを除くと、線内で運転が完結しています。
 
 押上線押上から高砂までの区間には京浜急行電鉄、都営地下鉄、北総鉄道、芝山鉄道の5社の車両が乗入れ、多種多様な車両が行き交う、ファン的には大変面白い区間になっています。

※掲載写真の撮影地ですが、成田空港線は線路の所有会社が京成以外であり、分かりやすくするために、区間表記は線路保有会社の駅で表示します。
※説明文は、2011年11月時点のデータに拠っております。
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新AE形。成田空港アクセス特急である「スカイライナー」用車両である。平成22年7月の成田スカイアクセス線開業に伴って新たに製造された。
同線の印旛日本医大・空港第2ビル間は、新幹線以外では国内最高速度の160km/hでの運転を行うため、前面はノーズ部分が大きく取られ、車体はダブルスキン構造のアルミニウム合金製となって軽量化が図られた。電動機出力やブレーキ性能も大幅に向上している。
本形式のデザインは世界的に有名なファッション・デザイナーである山本寛斎氏が担当。「風」をイメージしたというデザインは、上部から前面までををウインドブルーに、側面をストリームホワイトに包んだ外装となっている。通勤型電車と共通の帯を巻いていたこれまでのAE100形から、「スカイライナー」のイメージを一新した。
現在、上野・成田空港間を最速41分で結んでおり、表定速度は93.8km/hを誇る。民鉄界では破格の数値である。
写真:北総鉄道 千葉ニュータウン中央・小室間 2010.09.05
AE100形。平成2年に登場した特急型車両。翌年3月に控えた成田空港直下への乗入を控えた編成両数増および先代AE形を置き換えるために製造された。
車体は先代AE車がくの字型であったのに対し、鋭角状の流線形となり、裾絞りもないので、直線的なデザインとなった。前面は下部にスーパーカーのようなリトラクタブルライドが備わる。床下機器は全般的にもスカートにおおわれている。
また、都営浅草線を通って京急線への乗り入れも想定していたため、非常用の貫通扉が設置されている。
登場してから「スカイライナー」の運用を一手に担ってきたが、平成22年の成田スカイアクセス線開業後は運用を降り、本線経由に設定された「シティライナー」の運用に就いているが、本数は少なく、余剰となった編成は廃車されている。
写真:京成本線 船橋競馬場・谷津間 2011.11.23


3000形。平成14年に登場した通勤型電車。日本車両の標準スタイルとなったブロック工法による軽量ステンレス製の車体で、同様の工法で製造された小田急3000形などとイメージが似通っている。ただ、前面は鋼製で、貫通扉は完全に右端に寄っているので、独自性は保たれている。
一本目の3001編成だけは8連で登場したが、その後は6次車まで6連で製造されている。普通で余生を送っていたかつての主力車両である3200、3300、3500形を引退に追いやり、京成での最大勢力を占めるまでになった。
平成21年から製造された7次車は、スカイアクセス線経由の空港アクセス特急に使用されるということで、8連となったが、前面の黒色部分が上半分だけとなり、側面の窓回りには青のグラデーションが配され、飛行機のマーキングもなされている。設計最高速度が130km/hまで上げられているが、このグループは仕様変更点が多く、番号も3050代と区分されたため、3050形と呼ばれることも多い。
現在、3001編成は線内特急や地下鉄、京急乗入運用に幅広く用いられている。3050形も3001編成と同様の範囲をカヴァーしているが、主にスカイアクセス線経由の空港アクセス特急に使用される。6連口は専ら普通運用に従事している。
上写真:この日は空港アクセス特急に従事していた3000形のトップナンバー編成。
下写真:現在のラストナンバー編成である3056編成。上の写真の前日に同じ場所で撮った。
北総鉄道 東松戸・松飛台間 2011.8.10
3700形。平成3年に登場した通勤型電車。3500形、3600形と同様に、車体はステンレス製であるが、前面窓回りは方向幕、運行表示窓、急行灯と一体で黒色で処理され、また、運転台部分広く取るために貫通扉が右側に寄せられたことで、これまでにはない斬新なスタイルとなった。外の帯も、従来は朱色の帯だけだったのが、赤と青の組み合わせになり、側窓は2連の一段下降窓となった。
走行系統でもVVVFインバータ制御が当系列から初めて本格的に採用された。加速性能は3600系よりもさらに向上している。
車内も3600系まで濃いクリームとなっていた化粧板が、当形式からはアイボリーホワイトとなり、かなり明るくなったような印象を受ける。
途中、中断を挟みながらも11年間に渡って製造が続けられたので、途中からは仕様変更もみられ、平成12年登場の6次車以降は、ヘッドライトが上部に移り、急行灯が尾灯と並んで細目状に配されるようになった。
写真:京成本線 町屋・千住大橋間 2011.9.18
3400形。平成5年に登場した通勤型電車。初代「スカイライナー」AE形が引退した後、その足回りをそのまま用いて、車体だけ新造されて登場したのが当形式である。
車体は3700形をベースにしているが、鋼製車体となり、ベースを薄いグレーとしている。
AE形は8連5本総てが通勤型電車に生まれ変わった。先頭車が電動車となっており、3700系同様、京急線への乗入も恒常的に行われている。

写真:上野口では珍しい快速運用に従事する3438F。京成本線 町屋・千住大橋間 2011.10.29
3600形。昭和57年に登場した通勤型電車。3500系に準じたステンレス製の車体であるが、前面は3面折妻構造となり、貫通扉には種別表示器が備えられた。前照灯と尾灯が横一列に配されるように変更されたことで、スッキリとしたデザインになった。側窓は京成では初めて一段下降窓となったが、骨組みもステンレスとなったことで腐食対策は施されている。
走行系統は、初代「スカイライナー」AE形で採用された界磁チョッパ制御方式をこの形式でも用いているが、2両だけ、後年になってVVVFインバータ制御方式に改められている。
登場当時は6両編成9本という陣容であったが、優等列車の8両化に伴い、8連6本と6連1本に組み替えられている。その際、6連の先頭車は電動化された。また、朱色のみであった帯は、3700系と同じように赤と青の組み合わせに変わった。
当形式の8連口の先頭車は電動車ではなく、また、6連口の他社乗入運用はないので、京急線へ入線することはない。
写真:京成本線 町屋・千住大橋間 2011.9.18


3500形。昭和47年に登場した通勤型電車。京成では初のステンレス製車体となり、クリームとオレンジのツートンカラーの電車が幅を利かしていた当時の京成では、大変センセーショナルであった。
前面には額縁がついて、肩や裾周りのRも殆どなくなって、角々しいイメージとなった。アコモ面では、京成の通勤型電車では初めて冷房装置が搭載されたことが特筆される。
編成面では、制御電動車+中間電動車2両一ユニットで構成され、2,4,6,8両に柔軟に組み替えることが出来る。
平成8年からは車体の張り替えを含む大々的な更新工事が施され、前面が切妻形状から3面折妻構造になって、窓の縁どりの天地寸法が拡大したほか、貫通扉には種別表示器が設置された。側窓も3連配置から田の字型となって、サッシがブラックになった。全車更新工事を施される予定だったが、費用対効果を見極め、3557番以降の40両は3000形の新造で置き換えることになった。
現在、更新車は8両、6両4本ずつにまとめられ、前者は特急から普通まで幅広く活躍、京急線内へも乗り入れている。後者及び4連しかなくなった非更新車は、細々と普通運用に従事している。

上写真:更新車による6連の普通 京成本線 町屋・千住大橋間 2011.10.29

下写真非更新車。大手私鉄でのカンバン電車は大変珍しくなった。 京成本線 京成高砂・京成小岩間 2012.1.4


3300形。昭和43年に登場した通勤型電車。昭和33年に製造開始された(初代)3000形から続く鋼製通勤型電車「赤電」シリーズの最終版である。全電動車4両で一編成を組むが、2両に分けて中間に運転車を挟み、6両、8両と組み直すこともできる。
1次車16両は、昭和39年に登場した3200系と大差がなかったが、昭和44年から作られた2次車の38両は、台車が空気ばねから金属ばねに変わったほか、前面に種別・行先表示器の設置がなされ、表情に変化が見られた。
登場時は非冷房であったが、昭和58年以降設置工事が開始され、4年後に全車の冷房化が完了した。前後して、1次車にも種別・行先表示器が設置されたほか、全車、貫通扉の窓下に種別表示器が追設された。これにより、種別看板の使用は打ち切られた。
普通から特急まで、都営浅草線、京急線への乗入運用にも活躍し続けてきたが、(2代目)3000形の増備が進むと、置換えの対象となり、廃車が始まった。現存するのは4両編成だけで、普通運用に就くのみである。京成で一時代を築き上げた「赤電」最後の姿として余りに寂しい余生だが、3本は(初代)3000系列やそれ以前の車両が纏っていたカラーに塗装変更されており、ファンの注目を集めている。

上写真:トップナンバー編成 かつての「赤電」も後輩3400形のカラーリングを纏わされ、ネーミングの面影を辿るのは難しい 京成本線 町屋・千住大橋間 2011.11.2
下写真:登場当時のカラーリングに戻された3324F ステンレス車体ばかりとなった京成の中でこの装いはかえって新鮮 京成本線 町屋・千住大橋間 2011.10.29




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