京阪電鉄

 京阪電鉄は京都(出町柳)・大阪(淀屋橋、中之島)間を結ぶ路線をメインルートとし、宇治、交野に行く支線を持ち、また、琵琶湖畔の大津市内にも路線を有しています。
 社名の通り京阪本線は、起点終点とも他2社とは少し離れているものの、阪急京都線、JR京都線と京都・大阪間の乗客シェアを奪い合う熾烈な争いを繰り広げており、それゆえに早くから快適で高性能な車両が特に優等列車に投入されてきました。
 また、淀屋橋駅近辺は大阪のビジネス街に近いために混雑が激しく、萱島・天満橋間は早くから複々線化され、特に朝ラッシュの輸送において絶大な効果を発しています。平成20年10月には天満橋から中之島までの新線が開業し、中心部へのアクセスがより便利になりました。
 京都側は昭和62年に出町柳まで延伸され、鞍馬に行く叡山電鉄と接続するようになり、洛北観光にも便利になりましたが、三条から浜大津へと延びていた軌道線の京津線は平成9年の京都市交通局東西線開業と引き換えに御陵までの区間が廃止されています。ただし地下鉄線に乗り入れているので、大津・京都両市街地間のアクセスルートは形変われど維持されています。
 大津市内には石山坂本線もありますがこれも軌道線で、専用の小型車両で運転されています。このため、本線特急車から軌道線用小型車までも有しており、大手私鉄の中でもとりわけ車両のヴァリエーションが豊富です。
※本文は、2009年3月6日時点でのデータに基づいて記載しています。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
8000系。1989年に登場した特急用車両。同年に登場した通勤型電車7000系同様、ブラックフェイスが採用された前面は、新時代の到来を告げたものであったが、貫通扉には伝統のハトのマークが鎮座している。側面は連続窓になり、すっきりとした感じを受ける。
京阪の特急は伝統的にTVを設置しており、この8000系も、大阪よりから4両目が「テレビカー」となっている。その隣には、1997年からダブルデッカー車が新たに組み入れられて8両編成となっている。 
写真:京阪本線千林・森小路間 2008.5.3
8000系(30番台)。2008年6月までの3000系で、1971年に登場した特急用車両。特急車としては初めて冷房が搭載され、2年後には先代の1900系の特急運用をすべて置き換えた。当時の京阪には珍しく、前面窓が回り込むデザインである先頭車は、京都側の車両にTVが備わったが、これも初めてカラーとなった。
ハトのカンバンを掲げて阪急、国鉄と京阪間の覇権をかけて争ったが、1989年に8000系が登場すると廃車が始まり、全廃の予定もあったが、最後に残った一本は、1995年にダブルデッカー車を、1998年に改造中間車を組み込まれて8両固定編成となった。車体のみならず制御装置の更新工事も受け、”3000系のツラを被った8000系”というような車両に生まれ変わった。
中之島線開業に合わせて登場した快速急行用の車両が3000系を名乗ることになったため、重複を避けるべく、8000系の一員となった。オリジナルの8000系と共通運用で使用される。
写真:3000系時代の姿。現在は形式文字が黒くなっているが、塗装はオリジナルを保っている 京阪本線 千林・森小路間 2008.5.3
3000系。2008年に登場した快速急行用車両。同年10月の中之島線開業に合わせてデビューした。前面は最新通勤型電車や8000系の流れを汲み、ブラックフェイスとなっているが、円弧状の車体断面が初めて取り入られた。正面のカラーパターンも、屋根の形状と対を成しているが、そのカラーパターンも、紺と白の組み合わせという、大変斬新的なものになった。境目には銀の帯が入る。車内も紺地の転換クロスシートが並び、高級感をかもし出しており、”コンフォートサルーン”の別名にふさわしいつくりである。
8両固定編成6本が活躍中である。
写真:前面のフルカラーLEDも京阪では初採用。シングルアーム式集電装置も本線系車両としては初採用 京阪本線 大和田・古川橋間 2009.2.8
9000系。1997年に登場した通勤用車両。3ドア車として登場したが、混雑時の特急としても使用されることを予定していたため、車内はセミクロスシート(ただし転換はしない)となっている。このため、登場時は、通勤用車両のカラーリングである濃淡グリーンのツートンカラーの境目に、水色の細帯が巻かれ、「ちょっと違う」車両であることをアピールしていた。2003年9月の改正以降は増加した昼間時間帯の特急にも就くようになった。
中之島線開業後は、特急運用は朝夕の僅かな機会に限られるようになった。9005Fは全車ロングシート化されて新塗装に改められたが、ほかの4本も同様に変更される予定である。
写真:京阪本線千林・森小路間 2008.5.3
6000系。1983年に登場した通勤用車両。同年に行われた昇圧(600V→1500V)に対応できない旧型車を置き換えるべく製造されたが、その後も残存した旧型車や、輸送力増強を目的として、10年間に渡って製造され、最終的には114両の大所帯になった。これは、京阪の「最大派閥」である。
前面は連続窓風にまとめられ、他系列との併結を考慮しないため、非貫通構造とされた。外開きの非常扉はうまくカモフラージュされている。「金太郎の腹掛け」スタイルは京阪独自であるが、この6000系が嚆矢となった。
現在では特急運用にも就くなど、本線での主力車両となっている。
写真:京阪本線千林・森小路間 2008.5.3
5000系。1970年に登場した通勤用車両であるが、日本初の5ドア車として有名である。その後、他社でも5ドア、6ドア車も登場したが、この車両はラッシュ時間帯が終わると2番目と4番目のドアを締切扱いとして、そこに座席を下ろすという機能がついており、京阪5000系しか見られない。
当時の京阪の大阪口は大変な混雑で、設備的な制約もあり、編成を7両にとどめたまま、乗降時間を短縮するために生まれてきた。多扉車であることから重量が増加するが、アルミ製車体にして、従来車よりも軽量化を図ったことも特筆される。
現在も平日の朝ラッシュ時には多ドア車のメリットを生かして停車時間の短縮、円滑な運行に寄与している。混雑率の低くなる時間帯は、3ドア車として使用され、実に使い勝手のよい電車である。
京阪本線関目 2007.4.14
2600系。1978年に登場した通勤用車両であるが、1959年より製造された2000系から「改造」された0番台と、1981年に新造された30番台から構成される。0番台は2両、3両、4両のユニットで製造され、それらをつなげて4両、5両、7両編成として使用されている。元の2000系がヴァリエーション豊かな形式であったのだが、一両ごとにユニークな特徴があるといっても過言ではない。30番台は4両+3両のユニットで製造されたが、こちらは4本殆ど同じ車体となっている。このグループは最初からヘッドライトがシールドビーム式であり、印象が少し変わっている。
車齢が古く、廃車も進んではいるが、依然80両以上が活躍し、幅広い活躍をしている。
写真:京阪本線野江
2007.4.14
2400系。1969年に登場した通勤用車両である。7両固定編成6本が製造された。初期の車両は、まもなく、登場してから40年が経過するが、いまだに廃車は発生していない。昭和63年から更新工事を受けているが、その際、貫通扉窓、種別幕、行先幕が一枚のガラスの中に収まり、そのガラスが黒基調となったことで、より引き締まった前面となった。
写真:京阪本線野江 2007.4.14
2200系。1964年に登場した通勤用車両である。2600系0番台の前身である2000系をベースにした車両で、パンタグラフの位置や制御装置などが変更されている。当初は4〜6両であった編成は、基本的に7両編成に揃えられ、その後8両編成も登場した(現在は基本的に7連)。
1984年からは更新工事が施され、前面に種別、方向幕の設置がなされて、現在の姿になったほか、制御装置の変更も合わせて行われた。 
登場から40年以上が経過し、古参の部類に区分されるが、いまだに編成単位での廃車は出ておらず、新塗装車も出現している。
写真:京阪本線千林・森小路間 2008.5.3
1000系。1977年に登場した通勤用車両である。それまでに存在した700系の車体を流用して、走行機器などは新たに用意された。7両固定編成6本が配置されている。
1991年からは更新工事を受け、前面は一新されたが、側面の二連窓、扉枠ギリギリまで広がったドア窓などは存置され、かつての旧型車のイメージをよく留めている。 
写真:京阪本線千林・森小路間 2008.4.21
1900系。1963年に登場したが、一部には1956年に製造が開始された1810系からの編入車を含んでおり、実際の車齢はさらに上のものもあった。当初は特急車としてデビューしたが、3000系の登場で通勤用車両となり、1985年からは大幅な車体更新工事を受けている。とはいえ、側面は殆ど手が加えられておらず、1810系からの編入車に至ってはウインドウシルが残ったままとなるなど、クラシックなムードが感じられた。
京阪間特急運用からの撤退後も長きに渡り活躍を続けたが、2008年12月のさよなら運転をもって、引退した。
京阪本線野江 2007.4.14


inserted by FC2 system