ひたちなか海浜鉄道





 平成20年に発足したひたちなか海浜鉄道は、それまで勝田・阿字ヶ浦間の湊線を運行していた茨城交通から分社化されて誕生しました。茨城県央部の有数の港町であり、海水浴場も抱える那珂湊市域(現在は勝田市と合併してひたちなか市)から常磐線の勝田駅までアクセスする鉄道で、かつては常磐線からの直通列車も走るなど、賑わいを見せていました。
 しかしながら20世紀の終わりに近づき、茨城県内の道路網が整備されてくると、ほかの私鉄同様に利用客が減り始め、存亡の危機に立たされることになります。折しも、同じ茨城県内の”仲間”であった日立電鉄が平成17年に、鹿島鉄道が平成19年に鉄道営業をやめ、路線は廃止になってしまいました。
 茨城交通も本業のバス部門の収益が減り、いよいよ鉄道線の負担を支えきれなくなりましたが、ひたちなか市をはじめとする地元の方の熱意〜それは、県内第3の廃線だけは絶対に避けるという強い意志もあったのでしょう〜が実り、市と茨城交通の出資により、湊線を継承営業する第3セクターであるひたちなか海浜鉄道が誕生するに至りました。
 勝田から阿字ヶ浦の間は14.3kmの路線長です。金上・中根間では林の中を抜けて田園地帯を進み、長閑な景色の中には、絶好の撮影ポイントが広がっています。那珂湊駅は機関区が併設されて拠点駅です。那珂湊漁港がすぐ近くのところにあり、新鮮な魚介類を求める人で賑わっています。平磯までは宅地の中を抜けて行き、終点阿字ヶ浦までの間はなだらかな丘陵地帯に畑が広がっています。海がほとんど見えないのは玉に瑕ですが、海水浴場へのアクセスには問題ありません。
 
 平成23年3月11日の東北太平洋沖地震で茨城県も強い揺れに襲われ、湊線も至る所で線路が陥没しましたが、関係各位の必死の努力により、4ヶ月後には営業を再開しました。短期間で復旧を果たしたことは、観光振興への鉄道の果たす役割を再認識させてくれたと言えます。現在も、観光客や地元住民の通勤通学の足として、重要な役割を担っています。
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写真1:
キハ3710形。茨城交通時代の自社発注車で、平成7年と平成10年に一両ずつ登場した。新潟鐵工所(車両製造部門は現在の新潟トランシス)が各地のローカル線向けに納入してきた”NDCシリーズ”の車両で、車長18.5m、エンジン出力は330PSとなっている。WCは設置されていない。2010年にアイボリー地に赤と青の帯を配した茨交時代のカラーリングから、クリームと濃緑のツートンカラーに改められた。
阿字ヶ浦・磯崎間 2011.1.10


写真2:
キハ222形。出生は北海道の羽幌炭礦鉄道。北海道の日本海側北部にあった有数の炭鉱からの搬出を目的としたこの鉄道は昭和45年に閉山とともに廃線となり、そこで旅客営業に当たっていた国鉄キハ22形と同仕様のキハ3両はすべて茨城交通に譲渡された。キハ221〜223形と名乗るこれら3両は、北海道に比べると温暖な茨城の地に安住しても、前面の旋回窓が存置され、長い間活躍し続けたが、平成7年にキハ221が、平成21年にキハ223が廃車された。
現存するキハ222はかつての国鉄一般型気動車標準色”風”のスカ色を纏っている。
金上・中根間 2010.1.16


写真3:
キハ205形。元国鉄のキハ20形である。昭和30年代から50年代の本州以南の非電化ローカル線を席捲したキハ20形も、置換えや路線廃止で平成に入った頃にはJR線上から姿を消した。民鉄への譲渡車も同様の理由で引退していったが、わずかに水島臨海鉄道とひたちなか海浜鉄道だけに生き残る。
キハ205は茨交からの継承車であるが、その前にJR西日本から水島臨海鉄道に転籍し、同社から譲渡されている。国鉄気動車風の車両が多いひたちなか海浜鉄道だが、国鉄籍を有したことのある現役車は、このキハ205だけである。茨城入りは平成8年、当初は茨交標準色だったカラーはすぐに国鉄一般色に塗り替えられた。WC撤去や車体形式表記などの変更点もあるが、国鉄時代の面影を色濃く残しており、全国の気動車ファンに人気の一両となっている。
金上・中根間 2010.1.16


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