阪神電鉄

 阪神電鉄は大阪と神戸を結ぶ鉄道で、大阪キタの中心地梅田から神戸市街の元町までを結ぶ路線を本線とし、武庫川団地に向かう支線を有し、そして、2009年に長年の悲願であったミナミの中心地である難波にも路線を延ばしました。阪神間には阪急神戸線、JR神戸線、そして阪神電鉄本線が並走し、しのぎを削っていますが、阪神電鉄線は一番海に近いところを走っています。国鉄〜JRや阪急と厳しい競争に晒されているわけですが、昔から運転本数を多くすることで利便性を充実させていました。現在では”ミナミも押さ”え、難波を介して近鉄難波、奈良線との相直乗入も行っていることから、JRや阪急がカヴァーしえないエリアからの乗客の獲得を図っています。
 阪神電鉄と言えば、大多数の人がプロ野球球団タイガースの親会社と思い浮かべることと思います。途中駅の甲子園駅の浜側には、甲子園球場があり、阪神戦や高校野球開催時には大変な賑わいを見せます。時には5万人を超える観客数の多さの割にそれほど混乱がなく輸送されている技術は定評があり、神業的でもあります。
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8000系。1984年に登場した優等列車用車両。老朽化していた3000系列を置き換えるべく製造された。
これまでの阪神電車は他系列とも手を組んだ雑多な編成が多かったが、8000系は初めて6連固定編成で登場した。また、界磁チョッパ制御を本格的に採用し始めたのも、当系列からである。
製造両数は100両をゆうに超え、一大勢力となり、製造年次ごとの差異が見られるが、1991年以降に製造されたものは側窓のデザインが変更され、車内設備も変更されている。
1998年からは山陽電鉄姫路までの乗入を開始し、山陽の車両とグレードを揃えるために、2002年から一部の車両はリニューアル工事を施された。
写真:本線 大物駅 2009.10.10
5500系。1995年に登場した普通用車両。同年の阪神・淡路大震災で被災した車両の代替で当初は製造されたが、その後老朽化した普通用車両の置き換えで増備が急ピッチで進んだ。
外見は8000系の最終増備車をベースにしたものとなったが、屋根は少し丸みがつき、少し柔らかみをおびるような印象となった。だが、窓柱は黒くなり、精悍な感じを受ける。また、これまでの普通用車両は、クリーム+紺のツートンカラーで塗装されていたが、本形式は空色+白の装いに改められた。これまでの普通用車両のイメージを大きく変えた。
また、制御方式は阪神電鉄では初めてのVVVFインバータ制御方式が採用された。現在は4両編成7本が活躍している。近鉄線への乗入は不可能だが、山陽電鉄東須磨までの運用がある。

写真:本線 大物駅 2009.10.10
2000系。1970年から製造された7001形などを改造して、1990年に登場した。優等列車用車両である。
改造前は抵抗制御方式で、4両編成と2両編成が混在していたが、6両固定編成となり、制御方式も界磁添加励磁制御方式に改められた。前面も幌が撤去されてすっきりとしたものになった。
6両編成8本が改造されたが、1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた2本が廃車、2008年になって1000系の登場で置き換えが進み、2009年12月時点で現存するのは3本のみとなった。
写真:本線 大物駅 2009.10.10
5001形。1977年に登場した普通用車両。阪神の普通用車両は、高頻度で走る優等列車の合間を逃げるように走るため、起動加速度がずば抜けて高いのが特徴で、それはジェット機並みであると喩えられて「ジェット・カー」と呼ばれる。
当系列は初代ジェット・カー5201形などの置換用として登場した。当形式は、基本的な走行系統は従来の車両と同様であったが、普通用車両としては初めて最初から冷房装置が搭載された。
2両編成で製造されたが、後年、本線の普通列車がすべて4連で運用されるようになったため2本をつなぎ合わせて、先頭には出ない運転台は撤去されてシートが並んだ。また、当初は行先を看板にて掲出していたが、方向幕がおでこの上に設置された。
初代ジェットカーは20年少しで全廃されたが、2代目は、登場から30年経った車両もいるのに、全車が現役である。
写真:本線 大物駅 2009.10.10


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