阪急電鉄

 阪急電鉄は、大阪キタの中心地梅田を起点とし、京都、宝塚、神戸方面に向かう本線を中心として、全長146.6kmの路線網を有する関西きっての大手私鉄です。京都(河原町)・大阪(梅田)間は古くから国鉄〜JR、京阪との熾烈な争いを繰り広げており、特急電車が国の誇る超特急「つばめ」までを追い越していたというエピソードは有名です。神戸線区間でも東海道本線との競争が激しく、様々なサービス改善がなされてきました。
 現在、関東関西の大手私鉄では本業以外にも不動産、流通、レジャーなど多角的な経営を行うところが多くなっていますが、阪急電鉄はその先鞭的な役割を果たしたといえます。全国的に多くのファンがいる宝塚歌劇団は設立当初から阪急電鉄が運営を行っているほか、1988年までは現在のプロ野球球団、オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスも所有していました。
 阪急の車両は、基本的には国鉄規定のぶどう色2号をまろやかにしたような、独特のマルーン色単色に塗られています。更新などで肩部がアイボリーに改められた車両も多くなっていますが、創立当初からのカラーリングを守っている大手私鉄は、今や阪急電鉄だけとなってしまいました。
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7000系。1980年から8年間にわたって210両が製造され、阪急の最大勢力となっている。6000系をベースにした車両ではあるが、主電動機や制御方式に違いがみられる。また、1985年以降に製造された編成は、アルミ製となっている(が、塗装はマルーン単色になっているため、ぱっと見区別はつかない)。
2,4,6,8両編成が存在し、中には恒常的に6000系や8000系と組んでいる編成もある。神戸、宝塚、今津、箕面線で運用されている。
写真:宝塚線 石橋・池田間 2009.2.8
6000系。1976年に登場したこの車両は、神戸、宝塚線用の車両で、その後の2200系からの編入車も含めると140両の陣容となっている。それまでの通勤型車両よりも側窓の天地寸法が拡大され、これは7000系にも引き継がれた。
当初、一部は、1998年までに行われていた山陽電鉄須磨浦公園までの乗り入れに対応すべく(山陽線内は6連が限度)、2連+6連の組み合わせで登場していたが、乗入中止後は8連固定編成に組み替えられ、宝塚線に転用された。半端な車両は7000系と混成されて神戸線に残るものもあれば、甲陽線、今津線西宮北口以南で活躍しているものもあるが、現在は宝塚線での活躍が中心となっている。能勢電鉄への直通特急である「日生エクスプレス」に使用されている。
写真:宝塚線 石橋・池田間 2009.2.8
5100系。1971年に登場したこの車両は、阪急では初めて全線で使用できるようにした通勤型車両である。これまで京都線用の車両と神戸、宝塚線用の車両とでは床下機器の配置が異なっていたが、この形式では揃えられ、登場当初は京都線での活躍も見られた。
この形式は電動車である制御車が中間車である付随車をサンドイッチするような編成になっており、2,3,4両編成を構成していた。しかし、山陽乗り入れの中止で神戸線からの6連仕業がなくなると、MT比の関係から同線では使えなくなり、4+4の組み合わせに極力揃えられ、宝塚線に集結するようになった。
登場当初は前面に表示器がなく、看板を掲出していたが、後年になり、6000系や7000系のように、おでこに表示器が備わり、種別灯と尾灯が窓下に備わるようになった。登場してから30年以上が経過するが、他系列編入車はあるものの、廃車は一両も出ておらず、一部編成はリニューアル工事も受けて活躍中である。
写真:宝塚線 石橋・池田間 2009.2.8
3000系。1964年に登場した通勤型車両である。神戸、宝塚線の600V→1500V昇圧に備えて製造され、1960〜80年代の神戸、宝塚線ではエース的な存在であった。
当初は非冷房で登場したが、1975年より冷房化改造が施され、9年間かけて完了している。また、1982年からは、前面に種別、行先表示器が設置され、5100系と同様の改造が施された。しかしながら、中間封じ込めとなった先頭車への改造は見送られた。宝塚線で使用される編成の先頭車には、スカートが備わる。
9000系の登場で廃車が発生し始めたが、神戸、宝塚、今津(西宮北口以北)、伊丹の各線で活躍が続いている。
写真:宝塚線 石橋・池田間 2009.2.8
3100系。3000系の宝塚線専用版で、1964年に登場した。3000系に準じた形式ではあるが、主電動機出力が小さくなっている。合計40両が製造され、3000系と同時期に冷房化改造がなされた。3000系や5100系と同様に、前面の改造も行われたが、この改造は途中で打ち切られている。前面未改造の編成は現在も活躍しているが、そのため、最近では大変珍しくなった”カンバン電車”が、阪急では恒常的に見られる。
3100系はかなり早くから支線系統への転出が始まった。現在では6連口が今津線西宮北口以北で、4連口が伊丹、箕面両線で活躍している。
写真:箕面線 牧落・箕面間 2009.2.8


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