京都市交通局

 路面電車発祥の地である京都市は、その後、碁盤の目のように整えられた大通りに路線が敷かれ、”チンチン電車”が千年の古都を縦横無尽に走っていましたが、モータリゼーションの波は平安京にも容赦なく押し寄せ、昭和53年には全線廃止となってしまいました。その後、同局はバスのみを運営していましたが、3年後には烏丸通りに地下鉄を開業させ、再び都大路に鉄道が戻ってきました。当時は烏丸線京都・北大路間のみの営業でしたが、昭和63年に竹田まで南進して近畿日本鉄道(近鉄)京都線新田辺まで相互直通運転も開始、北側は北山、国際会館まで延長され、また、近鉄との乗入も奈良までに拡大されました。
 平成9年には御池通りの下に東西線醍醐・二条間が開業し、御陵駅を介した京阪京津線からの乗入も始まりました。東西線もその後になって路線の延伸がなされ、東は宇治市の六地蔵まで、西は太秦天神川まで運転されるようになっています。
 両線とも軌間は1435mmですが、烏丸線を走る電車の車体は大型車であるのに対し、東西線は乗入先の京阪京津線が併用軌道区間があるために、小ぶりなものとなっています。従い、両線の車両に共通項はほとんど見受けられません。
------------------------------------------------------------------------------------------------
写真:烏丸線用の10系。当初は全電動車4両編成で製造されたが、竹田延伸時に際して付随車2両が追加され、現在は全編成が6両編成となっている。写真の編成は国際会館開業に合わせて製造された最新ロットの編成で、登場当時の編成と比べると、貫通扉の窓や先頭部額縁の有無といった点が異なるが、昭和63年以降に製造された編成から、このようにモデルチェンジされた。
今や京都と奈良の二大古都を地下鉄の車両が結ぶ。
近畿日本鉄道京都線 興戸・三山木間 2008.12.6


inserted by FC2 system